原平さんと目盛くん

森田トミオ[著]

定価(本体1,770円+税)

ISBN978-4-434-20623-8 C0011
原平さんと目盛くん

故・赤瀬川原平の知られざる側面を明らかにし、そのユニークな人生の軌跡を、著者自らの歩みとともに辿った注目の書

多くの芸術作品と文学作品を残して2014年にこの世を去った赤瀬川原平の、この本は壮年のメモリーである。
若き日の目盛くんは美学校で赤瀬川さんの生徒だった。その頃、赤瀬川さんもまだ多く売れていず、南伸坊氏も貧乏だった。
その頃の、美学校時代を中心に、赤瀬川原平生涯最後の四度の引っ越しを巡る、赤瀬川原平芸術の、成功と優柔不断の物語り。

赤瀬川原平運命のわかれ道を、
二トントラックに乗せて運んだ男、
それが目盛くんことモリタトミオだ。
それは、モリタの青春の日々でもあった。
引っ越しが転機だった。
引っ越しのたびに赤瀬川さんの人生は好転した。
このあたりのこと、赤瀬川さんは書いていない。
この本はいつか「赤瀬川原平研究」の一級資料となるだろう。
──南伸坊(帯文より)

●はじめに・赤瀬川原平先生、生涯最後の四度の引越し
●「赤瀬川原平宇宙船」からの招待状
●美学校へ●赤瀬川先生の講義1 「最底辺からの視線」●南伸坊さん登場
●第二の講義は、「コレクション魂」を基底とするものだった
●赤瀬川原平の「あいまいな海」●実録・あいまいな海
●「ハイレッド・センター」、犯罪と芸術の狭間で……
●資本主義リアリズム講座●赤瀬川原平の印籠●赤瀬川さんとUFO
●「レンズの下の聖徳太子」のUFO●露天商のアルバイト
●露天商の仕事はよく町田でした●宮武外骨の『滑稽新聞』●優柔不断読本
●「エンテベの引越し」それは、赤瀬川原平にとっての桶狭間だった
●評論部分●「ガロ」で社員を募集していた・僕も自分を成長させなければならない
●サンフランシスコのカツオの刺身
●僕は芸術について考えていた・それは僕にとって死活問題だった
●赤瀬川さんとの文通●ニューヨークでの最初の危機●そして日本に戻った
●その頃、第二の引っ越しが行われた●僕も「生きる術」に出会わなければならない
●目盛君登場。僕もきっかけは一通の葉書だった●セルフ出版(白夜書房)入社
●『写真時代』創刊●我が、赤瀬川原平エージェントとしての働き
●その頃、赤瀬川さんは、第三の引越しをした●それは町田市の洋風住宅だった
●僕も「語る内容」を求めて、また旅に出ることにした●フリーランスへ
●赤瀬川原平先生の「福猫」の話●「ニラハウス」への引越しは、軽トラックだった
●赤瀬川原平先生の「福猫」の話 2●囲炉裏の里の夕食会●「ライカ同盟」撮影会
●赤瀬川さんに最後に会ったのは、南さんの個展だった
●最後にその本を、読んでもらうことができた

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