コラム〜編集日記〜

第38回


9月も半ば近くになり、ようやく涼しい風が吹くようになりましたが、読者の皆様はいかがお過ごしでしょうか?


前回お知らせした、アン・ワイザー・コネル著/大澤美枝子訳『すべてあるがままに--フォーカシング・ライフを生きる』を予定どおり8月末に刊行いたしました。これは春頃の完成を遅らせ、訳者の大澤先生にじっくり取り組んでいただいたため、とても良いものができたのではないかと思っています。


これはアン・ワイザー・コーネルのフォーカシング人生35年を辿る論文集で、大澤先生によれば、「アンが、最初から最後まで本書で伝えようとしていることは、究極の受容、究極のやさしさ、すべてにイエスと言うこと」です。そしてセラピストやカウンセラー、その他援助職の方だけでなく、広く一般の方が、自分の問題に自分で取り組めるように、この究極の哲学を、ただ理論や態度として学ぶだけでなく、例を示しながら具体的にわかりやすく説明し、技法として実際に練習できるように工夫されおり、著者の親切心ががいかんなく発揮されています。そういうわけで、幅広い読者の皆様に読まれることを期待しております。せっかくの機会ですので、著者のメッセージを御紹介しておきます。


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日本の読者へ



私の著書『すべてあるがままに』が日本語に翻訳、出版されることは、非常にうれしく光栄です。本書を日本のみなさんにお届けできてとても幸せです。本書は私にとって、特別な本なのです。


本書が私にとって特別な本だというのは、私自身の人生や歴史をたくさん含んでいるからです。私が22才だった頃のある日、私は突然、この人生における私の「仕事」は、大勢の人々が精神的にもっと楽な気分になるよう援助することだという強い感覚をもったのです。数ヵ月後、私はジーン・ジェンドリンに出会い、フォーカシングを学び始めました。57才になった今振り返ってみると、私が人生で為してきたことの非常に多くはこの目的に捧げることでした。そして、私にとってそれは深い満足を感じるものです。


また、振り返ってみると、多くの人々が、この人生行路で私の師であり、援助者であり、支持者だったと感じます。その非常に大切な人のひとりが大澤美枝子さんでした。1986年にオークランドの私の小さいうちを訪ねてくれて以来、美枝子さんのことを喜んで私の友人と呼んでいます。彼女は、カリフォルニアで私にフォーカシングを学びたいと申し出て、スタートしたばかりの私のワークショップに参加してくれました! 私たちの友情と私たちの会話が、1994年の私の初来日、これまで6回来日した最初の来日へと導きました。美枝子さんはとても親切に、私が日本で教えるための旅を企画したり、私の著書『やさしいフォーカシング』、『フォーカシング入門マニュアル』、『フォーカシング ガイド・マニュアル』、そして、バーバラ・マクギャバンと共著の『フォーカシング・ニューマニュアル(フォーカシングを学ぶ人とコンパニオンのためのマニュアル)』の翻訳(共訳)を手がけてくれました。


私の初来日では、多くの方々にお会いし、お世話になりました。感謝申し上げたいと思います。村瀬孝雄教授にお会いしたことは大変な光栄でした。きわめて優秀な、温かく寛大な、魅力的な方でした。同じように、ご婦人である嘉代子さんにもまたとても親切にしていただきました。フォーカシング・コミュニティは偉大な方を亡くしたと思います。


またその時、村山正治さん、池見陽さん、伊藤義美さんにお会いしました。日本でのワークショップを主催して援助してくださり、非常に親切におもてなしくださいました。そして、私の仕事だけでなく、日本におけるフォーカシング一般にも、それ以来何年にもわたって支援を続けてくださっています。


私はまた、恵まれた才能と豊かな感性をもつカウンセラーであり、フォーカシング教師である、日笠摩子さんにも言及したいと思います。彼女のすぐれた言語能力で私の数冊の著書の翻訳にも力を尽くしていただきました。


そして、もちろん、私の友人である木田満里代さんには、どんなに感謝しているかをお伝えしなければなりません。日本語/英語のすばらしい通訳として、日本での私のたくさんのワークショップで私の隣にいてくれました。そして、私に日本語の声を伝えてくれました。


紙面の都合で、その他大勢の日本の友人たちについてここでお伝えできないことをお詫びします;あなたたちすべてが私にとって大切であり、私の来日をさらに豊かで充実したものにしてくれました。またお会いすることを、そして、日本で新しい友人ができることを楽しみにしています。



アン・ワイザー・コーネル
カリフォルニア、バークレーにて
2007年7月


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それから緊急出版として英和対訳の『ロジャーズのカウンセリング(個人セラピー)の実際』も、予定どおり8月末に刊行しました。


1953-55年頃に撮影されたロジャーズのカウンセリング面接ビデオ(白黒のもの)として専門家の間で知られているものに、『Miss Mun』というのがあり、これは、実際のセラピーの場面そのものをクライアントの諒解の下に収録したものとして貴重なものです。


このたび、そのビデオの日本語版が作成されたのに合わせて、録音の内容を英和対訳でテキストとしてまとめました。


ロジャーズの心理療法の核心が最もよく表現されているこのミス・マンとの面接は、多くのサイコセラピストやカウンセラーにとってきわめて有益な、パーソンセンタード・カウンセリング実習の最上のテキストです。 本書は、畠瀬稔先生からのご依頼により急遽刊行したものですが、カウンセリングの本質に関わる意義深い内容の本を出すことに協力できてよかったと思っています。


面接を受けているミス・マンさんの話を聞いていると、彼女と母、父、祖母(この場合は父の母)の間で繰り広げられている葛藤がわが国の一昔(または二昔)以前のそれを髣髴とさせるようで、そうか、アメリカにも結構ウエット(陰湿)な雰囲気の家族がある(あった)のだなという印象を受けました。最悪の姑の典型のような祖母(父の母)、その祖母の息子である父親(=夫)の言いなり(=ドアマット)になっている母、そしてそういうひたすら耐え忍ぶ母のことがとても嫌なのだが、なぜか母と同じように振る舞ってしまう娘としての自分……さらに縁談がうまくいかなかったとことや病気の不安などが彼女の心に暗い影を投げかけている……


文中で印象的なのが、10秒から長いもので1分ちょっとの「沈黙」で、これが1時間ほどの面接中に33回もあるのです。この間合いにクライエントの内面でいろいろな思いが進行しており、ヒーリングにもつながっているのではないかと思われます。クリシュナムルティの個人的会見の場合にも、沈黙の間合いがかなりあり、この間に相手との間で言葉を超えた心の通い合いが生じるのではないかと思います。


最近、春秋社さんの広報誌「春秋」に「墓守り娘の嘆き」という連載が載っていますが、核家族化した現在のわが国の家族内で、母と娘が共依存的な雰囲気の中で出口の見えない陰湿なドラマを展開している様子が描かれています。人間関係というものがいかに厄介なものか、改めて痛感させられ、またそういったものに取り組んでいるカウンセラーや対人援助者の皆さんはさぞかし大変だろうと拝察しました。


最後に、『クリシュナムルティの生と死』もほぼ刊行準備が終りつつありますのですので、次回にお知らせしたいと思います。
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