コラム〜読書雑記〜

第20回 文明と「野蛮主義」--モラル以前の問題


この度、ようやく『〈ワン・テイスト〉--ケン・ウィルバーの日記・上』(1997年1〜7月までを収録)を刊行する運びとなりました。これはもっぱらピンチヒッターのピンチヒッター役を快く引き受けてくださった、プロセス指向心理学の研究・実践者、青木聡さんのお力によるものです。もし青木さんが引き受けてくれなかったら、この本は永久に日の目を見なかったかもしれません。先日、春秋社編集部の鹿子木さんから電話があり、『万物の歴史』がようやく第三版が出ること、またウィルバーが今年来日することも教えてくれました(残念ながら、その後重田さんから病気でとりやめになった旨伺いました)。小生も良い理解者ではないとはいえ、多少とも紹介に関わってきた者として、彼への関心が持続し、彼の存在が少しでも多くの日本人に知られるようになることを願っております。ところで、その『日記』の六月三日には次のような書き込みがあります。


そして、私たちはポストモダン世界の芸術の状態を懸念しているだろうか? 『5280』という雑誌から。


「『六〇ミニッツ』がポストモダン芸術のばかげた世界についてのレポートを放送したとき、モアリー・セイファーは八フィートの灰皿--本物のタバコとタバコの吸いがらで満たされている--に注目し、今日芸術と見なされる最もけしからぬ例のひとつとしてあげている。追伸として、セイファーはその作品が最近デンヴァー・アート・ミュージアムに六万ドルで買われたことを伝えている」


そして、私たちは今日の世界のビジネス倫理を懸念しているだろうか? 『メンズ・ヘルス(Men's Health)』のレポートから。


「仕事で示すべき性質
最も好ましいのは忠義である。最高経営者に対する最近の調査で、彼らの八十六パーセントは自分の部下に望む性質として忠義を重んじている。最も好ましくないのは高潔さである。たった三パーセントしかそれを重んじていない」


大分以前ご紹介した『スピリチュアル・レボリューション』からわかるように、内面の豊かさ・深さを求めている人々が多数いる一方、アメリカのほとんどのビジネスでは「最も好ましくないのは高潔さ」なのです。まさに「モラル以前」どころか、「無」、「非」あるいは「アンチ」モラルが主流だということです。そして企業の幹部はおそらくほとんどが「大卒」であり、彼らは、同じく「大卒」の官僚や政治家と仲良くスクラムを組んで、甘い汁を吸っている……


筆者は現在ウスペンスキーの名著『新しい宇宙像・上下』の刊行準備にとりかかっています。これは『進化の構造』ほど大著ではありませんが、それでもおそらく八〇〇ページ近いものになるでしょう。これは本格的な「秘教(エソテリシズム)」研究書で、秘教的聖書解読や超人論など、きわめておもしろい内容が満載されています。中でも「タロット」に関する章はきわめて興味深いものです。特に二十二枚のカード(手品師、女教皇、 王妃、皇帝、神官、誘惑、戦車、正義、隠者、運命の車輪、力、吊される男、死、節制(時間)、悪魔、塔、星、月、太陽、審判の日、世界、愚者)それぞれについての幻想的スケッチはなかなか秀逸です。例えばカード 「悪魔」。


恐るべき暗い夜が地上を包み、遠くに赤い焔が輝いていた。
近づくにつれ、奇妙で空想的な人物の姿が見えてきた。


地上の高くに私は悪魔の恐ろしい赤い顔を見た。毛で覆われた巨大な耳、尖った口ひげと山羊のような曲がった角。悪魔の額にある角の間には歪んだペンタグラム(星型)が青白く輝いていた。コウモリの翼のような、膜状の灰色の翼が二枚広がっていた。悪魔は肘を曲げ、指をぴんと伸ばして、剥き出しの太った腕を差し出した。手の平には黒魔術の模様が描かれていた。もう一方の手で、燃えるたいまつを下に向けて持ち、そこから黒いむせるような煙が立ち昇っていた。悪魔は巨大な黒い立方体の上に座り、獣のような毛むくじゃらの足の爪でそれを掴んでいた。


立方体の前で男と女が鉄の鎖につながれていた。
私は彼らが庭園にいた男女と同じ人間であることを知った。しかしいまや彼らは角と尻尾を持ち、その先には火がついていた。
「これが墜落と弱さの情景だ」と〈声〉が言った。
「嘘と邪悪さの光景だ。
「彼らはあの男女だ。彼らは自分の力を信じたのだ。自分は善と悪を知っていると考えたのだ。彼らは弱さを強さと取り違え、〈欺き〉が彼らを従属させたのだ」。


そして私は悪魔の声を聞いた。
「私は〈邪悪〉だ」と彼は言った。「もっとも邪悪というものがこの世に存在する限りにおいてのことだが。私を知るには、いびつで、間違った、狭い見方をする必要がある。三つの道が私へと導く。欺き、疑惑、告発だ。私の美徳は中傷と悪口だ。私は三角形の一辺で、他の二つは〈死〉と〈時間〉だ。
「この三角形を逃れるには、それが存在しないことを知りさえすればいい。
「しかしどうやってそうするかを教えるのは私の仕事ではない。
「私は〈邪悪〉だ。人間は自分を正当化して、自分自身の罪をなすりつけるために私を発明したのだ。
「私は〈嘘の王〉と呼ばれている。まったくその通りだ。私は人間の嘘が生んだ最大の作品なのだから」。


ウスペンスキーによれば、「主の祈り」のギリシャ語やラテン語からの英訳/独訳で「悪(者)から救ってください」という言葉は、教会スラブ語とロシア語では「ずるい者から救ってください」となっているということです。「よこしまな者から」という訳もあるようです。いずれにせよ、前出のタロット幻想に描かれているように、嘘をついたり、他人を誹謗中傷したり、恫喝したりする人間の邪悪さを投影したものが悪魔だという解釈が成り立つわけです。ということは、最近外務省問題で話題になった某議員などはまさに極め付きの悪魔ということになるわけです。そして私たち一人ひとりの中にも、程度の差こそあれ悪魔が巣食っているということになります。


もう一つ考慮すべきことは、文明に並行している「野蛮主義」です。それは暴力と破壊によって特徴づけられる傾向のことです。ウスペンスキーは次のように言います。


野蛮人は棍棒で敵を殺す。文明人はあらゆる技術、爆弾、電気、飛行機、潜水艦、毒ガスなどを利用することができる。これらの破壊と殺戮の手段は進化した棍棒以外の何物でもない。ただ破壊力が違うだけである。破壊と暴力の手段の発達が野蛮人の文明である。


さらに、我々の文化の本質的な部分は奴隷制度から成り立っており、国家、宗教、思想、道徳、その他あらゆるものの名の下におけるあらゆる暴力形態から成り立っている。


現代社会の内的生活、その趣味と利益もまた野蛮な特質に満ちている。ショーや娯楽への情熱、競争、スポーツ、ギャンブルへの情熱、暗示への巨大な感応性、あらゆる種類の影響、パニック、恐怖、疑惑への傾向。これらはすべて野蛮主義の特質である。それらは我々の生活で、印刷、通信、無線、迅速な通信手段等々を利用しながら開花している。


……


野蛮主義が発達する根本原因は人間自身の中にある。人間の中には野蛮主義の成長を促進するような原理が内在している。野蛮主義を破壊するためにはこれらの原理を破壊しなければならない。しかし、歴史の始まりから今まで、人間の内奥にあるこの野蛮主義の原理を破壊することのできた文化は存在したことがない。だからこそ野蛮主義がいつも文明と並行して進化するのである。さらに野蛮主義はたいてい文化よりも急速に進化する。そして多くの場合野蛮主義は文化の発達をその始まりの段階で止めてしまう。ある国家の文明が、その国家内部の野蛮主義の発達によって阻害されてしまった歴史上の実例が数多くある。


……


野蛮主義が文化に勝利する第二の理由は、元々の文明が、その存在の保護や防衛、隔離のために、軍事力や軍事技術(心理学を含む)の開発、奴隷制度の奨励、野蛮な習慣の黙認などの形で、野蛮主義を育ててきたためである。


……


現代生活を調べると、野蛮主義に仕えていない文明の原理が占めている場所がいかにささやかなものであるかが分かる。平均的な人間の生活の中で真理への思考や探求に捧げられている時間がいかに少ないことか! しかし偽りの形を取った文明の原理はすでに野蛮主義のために、大衆を従属させ、隷属させ続ける手段として利用され、そういう形で繁栄している。


そして生活の中で許容されるのはこうした虚偽の形だけである。野蛮状態に即座に仕える道具ではない宗教、哲学、科学、芸術は、非常に脆弱な限定された形以外では生活の中で認められない。その小さな限界を超えて成長しようとする試みは即座に阻害される。


この方向における日常の人類の利益は飛び抜けて弱く無益である。


人間は食欲の満足、恐怖、闘争、虚栄心、娯楽と気晴らし、愚かなスポーツ、技能と運を争うゲーム、貪欲、官能性、退屈な日々の労働、日常の心配事や悩み、そして何にもまして、服従と服従の喜びの中で生きている。平均的な人間にとって服従よりも好ましいことはない。あるものへの服従を止めると、すぐに別のものに服従し始める。人は日々の利害や日々の心配事に直接関係しないもの、物質的な生活レベルの少しでも上にあるものとは遠く離れている。こうしたものすべてに目をつぶることなしには、我々は自らを文明化された野蛮人、つまり一定の教養を身に着けた野蛮人以上のものと呼ぶことはできまい。


我々の時代の文明は青白く打ちひしがれた状態にあり、野蛮主義の深い暗闇の中でかろうじて生き延びている。技術の発明、通信・生産手段の改善、自然と闘う力の増大、これらすべては文明から、それらが与えたものよりも多くのものを奪っている。


真の文明は秘教の中にのみ存在しうる。真に文明化された人類は内的なサークルであり、内的サークルのメンバーは、未開人や野蛮人に混じって彼らと同じ国の中で暮らしている。


前出のウィルバーの日記にある企業内で「最も好ましくない高潔さ」を備えた人は、ウスペンスキー的に言えば、秘教に通じたごくわずかな内的サークル系の人種ということになるでしょう。彼らは野蛮な現代文明の中で暮らしながら、それを「心理的に超えている」のです。この点ではクリシュナムルティも同様と言いうるでしょう。『クリシュナムルティの瞑想録』には、大学生とクリシュナムルティを含む数人の大人との間の次のようなやりとりが書き留められています。


あなた方は自分たちが、言うこととなすことのちぐはぐな偽善者であると感じていらっしゃる。そのことは政治家や僧侶たちの場合には必然的に理解できます。けれども他の人たちもやはりこの偽善的世界に入っていこうとしており、ぼくはそれがどうしてもふにおちないのです。あなた方の道徳は腐臭を放っています。あなた方は本当は戦争を望んでいるのです。


ぼくたちの場合、ニグロでも、褐色でも他のどんな色の人種でも憎むことはありません。ぼくたちは他の誰とでも気楽につきあえます。ぼくは現にかれらと行動をともにしたことがあったので、あえてそう言えるのです。


しかしあなた方古い世代の人間たちは、戦争と人種差別の世界を作り出したのです。ぼくたちはそうしたものは何ひとつ望みません。だからこそ反対しているのです。しかしぼくたちの反抗運動もまた一種の流行に堕して、従来とは違うタイプの政治家たちに利用され、当初の反発心を喪失しつつあるのです。おそらくぼくたちもまた、品行方正で、世間体を気にする道徳的な市民になってしまうのかもしれません。しかし今のところあなた方の道徳を憎んでおり、何の道徳心も持ちあわせていません。


これに対してクリシュナムルティは次のように述べています。


われわれは、「それはすばらしい! 全くそのとおりだ」と讃した。世間で認められた道徳は市民的体面の道徳であり、それゆえそのようなすべての道徳を否定することこそ、真に道徳的なのである。しかし、われわれは実際には、世間の尊敬を受けようと必死になっているのではあるまいか。そして世間の尊敬を受けることは、腐敗した社会でよき市民として認められることである。世間でのよい評判は非常に有利に働くもので、それは当人によい仕事と安定した収入を保証する。貪欲、羨望、憎悪をその中味とする世間公認の道徳こそは、既成秩序のあり方と同じなのである。


君がこれらすべてを口先だけでなく心底から否定するとき、君は真に道徳的と言える。なぜならそのような道徳は利害心や成功や出世を動機とするものではなく、愛から湧出するものだからである。君がそこで名声や評判、地位を得るための社会に属しているかぎり、愛はありえない。そのような社会には愛がないので、その道徳は実際には不道徳なのである。君がそうしたもののすべてを心の底から否定し去れば、そのとき愛に包まれた廉潔さが現われる。


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比較的最近、一般の人々から募った俳句で最優秀になったものがラジオで紹介されていました。


 競りに出す
 牛の顏拭く
 卯月かな


なんという悲しい句でしょう! 秋、わが子同然に手塩にかけて育て、まるまると肥えた牛を競りに出す日の早朝(「卯」というのは午前六時またはその前後二時間頃のこと)、きれいに顔を拭いてあげている飼い主。暗い寒空にはまだ月が残っている。程なくして競りにかけられ、買い取られれば、そのまま屠場に直送され、処分される運命にある、愛する牛との別れ。その深い悲しみが込められた一句だと紹介されていました。このような句を詠む人はおそらく肉屋さんの店頭で牛肉を買うことはできないでしょう。自分が育てた牛の肉かもしれませんから。


それにしても、このような句が最優秀に選ばれたところを見ると、日本人の感受性もまだまだ健在だと感じました。「なぜ人を殺してはいけないの?」といった質問は、感受性が豊かで、動物や植物への深い愛情を持った若者なら、そもそもの初めから出さないでしょう。「モラル」の問題を論じることももちろん大切ですが、しかしそれより、若者を含む私たちすべてがいかにして感受性を養ったらいいかを問うことが急務であるように思われます。


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なお、ようやくコスモス・ライブラリーのホームページが開設されましたので、お知らせさせていただきます。と言っても、事務局の重田さんが最近開設したホームページに同居させていただくことになったものです。新刊を含む刊行物案内の他、「Windows」欄には小生の編集日記や、松永太郎さんや藤本玲澄さんのコラムもありますので、お時間がありましたらアクセスしてください。 http://www7.ocn.ne.jp/~aeon-ms/
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