コラム〜読書雑記〜

第13回 カフカ語録--補遺


今回は、前回のカフカ紹介に若干の補足をさせていただきたいと思います。


『カフカとの対話』の中で、著者のヤノーホの父親(「労働者傷害保険局」でカフカの同僚だった)は、息子に次のような感動的な逸話を語っています。


ドクトル・カフカは寛容と善意の化身のような人だ。彼のために保険局でいざこざがあったなどということは、およそ思い出せない。しかもあの人の人付き合いのよさは、弱さとか妥協とかを表わすものではない。それどころかドクトル・カフカの人付き合いのいいのは、周囲のどんな人間に対しても、彼の極度の正確で公正でしかも理解に満ちた仕方で接するために、いつの間にかこちらも同じ態度をとらざるを得ない、そういうところにあるのだ。皆は彼のことばに相槌をうつ。彼の意見とどうしても合わない場合には、異を唱えなくともいいようにむしろ黙ってしまう。じつはそういうこともよくあるのだ。カフカは全く独特で、あらゆる通俗と権威に逆らうような考え方を表明することが多いからだ。傷害保険局の連中は必ずしも彼を理解しているとはいえないだろうが、それでも彼を好いている。彼は彼らにとっては格別の聖者だ。しかし彼は、他の多くの人間にとってもそうなのだ。


さほど以前のことでもないが、建築場の切石昇降機に左脚を砕かれた補助工の老人が私に言ったことがある。「あれは法律顧問じゃない。あれは聖者です」--補助工は私たちの方からほんの僅かな年金をもらうことになっていた。彼は私たちに訴願したのだが、法律上の形式が整っていなかった。最後の瞬間にプラーハの名のある弁護士が彼を訪ねていなかったら、老人はきっと訴訟に失敗していたろう。弁護士は-不具になった老人からは一文もとらずに--この補助工の願書を専門家の立場から補助し、不憫な男の正当な要求を勝訴に導いてやったのだ。この弁護士に委嘱し、助言し、支払いをしたのが--あとで分かったことだが--ドクトル・カフカだった。彼は傷害保険局の法律代理人として、老いたる補助工との訴訟に、名誉の敗北をとげようとしたのだよ。


傷害保険局の職員としての立場からは、局の不利になるような行動を見過ごすことは良くないかもしれないが、しかしヤノーホの父親は「彼は私にとっては役所の同僚以上のものだ。私は彼が好きだ。だから私はこうした法の操作を気づかっているのだ」と苦渋の発言をし、次のように補足しています。


人間愛はしばしば危機を孕むものだ。だからそれは、偉大な道徳財の一つでもあるのだ。ドクトル・カフカはユダヤ人だが、それでいて彼は、うちの役所の善良で愛すべきカソリックやプロテスタント諸君よりも、はるかにキリスト教の隣人愛を行うことが出来る。彼らはそのことを遅かれ早かれ恥じねばならぬだろう。そうするとなにか卑劣なことが始まりかねない。人間は一つの欠点をもっと大きな欠点でもって包み隠しがちなものだ。なにかで挙げられた役人が、カフカの法の操作のことを喋ってしまうことも充分考えられる。ドクトル・カフカはだから、彼の人間愛ををもう少し用心して扱わねばならいのだよ。そう彼に言っておきなさい。


二日後、ヤノーホがこのことをカフカに話したところ、彼は次のように答えています。


お父さんの見ていらっしゃる通りだというわけではありません。キリスト教の人間愛とユダヤ精神の間に対立はありません。それどころか、人間愛はユダヤ人の倫理的努力の結晶です。キリストは、その救世の福音を全世界に齎した一ユダヤ人だったのです。さらに、物質的にも精神的にも--すべての価値は一つの冒険に結びついている。すべての価値は身をもって碓証せねばならぬからです。それから周囲の人たちの羞恥心について言えば、お父さんのおっしゃることは正しい。人間はお互い無用の刺激を避けねばいけません。私たちはデーモンに憑かれた時代に生きているのだから、善と正義を行うにも丁度犯罪のように、じつにひっそりと人知れず行って始めて、それはどうにか実現できるものかも知れません。戦争と革命は消えてしまうことはないでしょう。それどころではない。私たちの感情が冷えるにつれて、戦争と革命は灼熱するのです。


この言葉には、現代において善行を施すことを望んでいる人がおられたら、ぜひ覚えておいていただきたい貴重な洞察が含まれていると思います。 ヤノーホはまた、どこかで読んだことのあるという、次のような支那の説話を紹介しています。


心は、二つの寝室のある家です。一方の部屋には苦しみが、一方には喜びが住んでいます。だから人は、あまり大声で笑ってはいけない。さもないと隣室の苦悩の目をさましてしまう。


で、カフカが「それで喜びの方は? 苦悩が声を大きくすると喜びは目をさますのですか」と尋ねると、ヤノーホは「いいえ、喜びは耳が遠くて、隣の苦しみの声は聞こないのです」と答えています。この説話の中の「苦しみ」を「悪」と、「喜び」を「善」と読み替えてみれば、前掲の善行についてのカフカの発言を理解する上で参考になると思います。いずれにせよ、私たちはあまり「自分は幸福だ」「自分は善いことをしている」と騒ぎ立てないほうがよいようです。さもなければ、不幸や苦しみや悪の目をさまさせてしまうかもしれませんから。



ところで、前回ご紹介した「現実こそ、世界と人間を造型する、最も強力な力です。現実は現(げん)にその実(じつ)を挙げる。だからこそそれは現実なのです。人はそれから逃れることはできない」という言葉を覚えておられるでしょうか? 実は、当時十七歳だった文学青年ヤノーホは、やがてかなり苛酷な現実に見舞われることになったのです。


その徴候はカフカと盛んに対話していた当時すでに出ていました。カフカを尊敬し、息子を彼に紹介した教養豊かな父親が、妻の猛り狂うような嫉妬で苦しめられていたのです。妻の方が十四歳年上で、年下の夫と並んでは、自分が消耗し年老いて見え、そこで彼女の内部に劣等感が生じたのですが、夫を悪しざまに批評することによって、いよいよ劣等感を嵩じさせるというありさまだったのです。やがてこれは、ヤノーホによれば次のような惨状に帰着していきます。「食事の用意はできていない。父の好物の料理は献立から消えてしまう。父が役所から帰ってみると家中はごった返し。窓は開けっぱなしでカーテンが風に吹かれている。台所のテーブルには汚水の入ったバケツが載っている。部屋はどこもマットや寝具が投げ散らかしたまま。家政婦は暇を取るし、女中は特別休暇に出てしまっていた。父は途方に暮れて、疎遠な居心地の悪い世界の真中に立っていた。それは始めは低い不平声から、やがては口喧嘩がいよいよ声高に烈しくなっていった。」


両親の惨状に深く傷ついたヤノーホは、カフカにその実情を伝え、それに対してカフカは現代人の大多数と同様、心が不具になっているのだから、両親をはねつけないで、手を取って守ってあげなければならないと言った後、「二人が僕に突っかかって来たら?」というヤノーホに向かって次のようなアドバイスをしています。


いや、そのときこそ、あなたは落着きによって、思いやりと忍耐によって、つまりは--あなたの愛情によって--両親のなかに、すでにお二人の内部に死滅しつつあるものを、もう一度目覚めさせねばなりません。あなたはどれほど殴られても不公正な目にあっても、お二人を愛し、公正と自尊心にまで導かねばなりません。何故なら、不公正とは何ものでしょうか。それは人間のまともなあり方ではない。それは道にさ迷い、行き倒れ、塵のなかを這いずり廻ることであり、人間の品位にふさわしくない姿勢のことなのです。あなたは両親を二人の行き倒れのように、愛情の手でもって助け起こさねばなりません。それがあなたの務めです。それは私たちすべての務めです。でなくて、私たちは何が人間でしょうか。あなたは、苦痛のあまりお二人を断罪してはならないのです。


が、この大いなる思いが込められたカフカの励ましにもかかわらずなおも苦しみ続けるヤノーホに対して、カフカはついに彼の信条たる「忍耐」の必要性について、次のように述べています。


忍耐は、すべての状況に対する特効薬です。われわれは、すべてのものと共振し、すべてに身を捧げ、しかも落着いて忍耐強くなければなりません。……自己克服に始まる、克服という行為があるのみです。これは避けるわけにはいかない。この道を逃れるならば、必ず破滅が待っています。忍耐強くすべてを受入れ、成長しなければなりません。不安な自我の限界は、愛によってのみ打ち破られる。私たちの足もとにかさこそと音を立てる枯葉の向うに、すでに若い新鮮な春の緑を見、そして忍耐し、待たねばなりません。忍耐こそ、すべての夢を実現させる真の、唯一の基盤です。


にもかかわらず、両親は破局を迎え、そしてヤノーホが21歳だった1924年5月14日に父は自殺し、それから間もない6月4日にカフカがウイーン郊外の小さな私立療養所で死去しています。そして第二次大戦中には抵抗運動に加わり、戦争終結の1年後(1946年)、旧政府の役人たちの悪意により、収賄、職権濫用、および窃盗の罪を着せられ、13ヶ月間、悪名高いパンクラーツ刑務所で苛酷な未決監に収容されました。


そして不運な晩年には数匹の愛猫とともに暮らし、「猫が私の唯一の慰めだ」と漏らしていたそうです。「第二刷あとがき」(昭和43年5月)で、訳者の吉田仙太郎氏は次のように述べています。


著者グスタフ・ヤノーホは、去る三月一日六十五歳の誕生日を迎え、三月五日「生涯にこれほど憧れたことのなかった春と新生」を待たずして、帰らぬ人となった。


「人生はもはや美しくない。俺はもう沢山だ」と言い残して、ヴェンツェル広場の人ごみに姿を消したその人の白髪の後姿を、私はいま思い出す。地上の苦しみから彼はついに解放されたと聞いて、私はむしろ哀惜とともに、一抹の安堵をさえ覚えるのである。
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